下萌えの季節を経て

エッセイ
Writer
山越栞

過ぎ去る年の振り返りと、新年の抱負をまとめることは、自分の一年間にあえて輪郭をつけて、近い未来の自分へ「こうありたい」とおまじないをかける作業だなと思う。

そんな習慣も、かれこれ4度目を迎えた。

いつもとちがうのは、綴る場所がここになったこと。

既存のサイトじゃない自分だけの世界をつくっていけたらなと思い続けてきたことが、やっと叶いました。

個人的な葛藤を理解してくれて、この場をつくってくれた人、背中を押してくれた人、待っていてくれた人。

ひとりでは何もできないことにやれやれと思いつつ、まずは人と環境に恵まれた幸せに感謝の言葉が浮かびます。ありがとう。

前置きが長くなってもしかたないから、さっそく本題です。

「静」の前半と、「動」の後半


2021年は、前半と後半で全然雰囲気が違っていて、まるで別の人生を過ごしたみたいだった。

特に年明けから春先までは、とにかく「この先どこで生きるのか」をずっと考えていて。

これは「東京を、好きなまま。」と題した記事にすべて詰め込んだので詳しいことは割愛。

紆余曲折を経て、東京下町の一軒家でこれからも暮らし続ける選択をした先に激動の後半戦が待っていたのだけど、そんなことは当時の私は知る由もなかったのです。そこがまたおもしろい。

まずは「静」の前半のこと。

流れに身を委ねることを知って、30歳になった


2021年上半期のBGMは、カネコアヤノさんの「はっぴいえんどを聴かせておくれよ(仮)」だと説明するのがいちばん手っ取り早いかも。

隅田川を散歩しながら、呑気に「あぁはやくハッピーエンドで終わらせてくれよ」と歌った日は幾許か。

公私共に特に辛いと感じる出来事はなく、どちらかというと淡い幸せが日常のそこかしこに存在していて、ふと道端に咲く花をきれいだなぁと思えるくらいの、ほんとのほんとに穏やかな毎日。




ただそこには、やっぱりコロナ禍でダメージを受けている心に蓋をする要素もあったと思う。

物足りなさをどこかで感じつつも、大きな挑戦やドラマティックな変化なんて求めずに、ひたすらに「ここにあるもの」に目を向け続けた。

だけど、今振り返っても正解だったとは思う。

もともと「流れに身を委ねる」というのが一つの人生指針なのだけど、それは濁流のなかで丸太にしがみつくことじゃなくて、大きな浮き輪に乗ってぷかぷか「なんかいい景色かも」と思うようなこと。

そんな、自分的正解をなんとなく確立できてきたところで、あっという間に8月の誕生日を迎え30歳になった。

小さくまとまらず、小さなことにも目を向けて


20代への未練なんて1ミリもなく「やっと30代だ」と思えたのが、まずは何よりも誇らしかった。

だって、自分が生きてきた道を少なくともアリだなとは思えてるって意味だから。

周りを見ればさまざまなステータスの友人知人がいるし、力を注ぐ先も家庭だったり仕事だったり趣味だったりで違うけれど、誰に対しても妬みや引け目を感じずに、私は私の選んだこの生き方が好きと言える。

これは、ヤラれてるときも調子がいいときも、ちょうどいい距離感で見ていてくれる存在が身の回りにたくさんいてくれるからこそ。



同世代女子たちと、真っ赤な衣装や自分らしいと思うお花を用意して、ハーフ還暦(60歳のはんぶん笑)の記念撮影をしたのはいい思い出です。



30年間のいろんな出来事を経て、服装もメイクもあれこれ通ってきて、みんな「私はこれがしっくりくる」っていうのをちゃんと捉えている感じが好き。個別でも撮ってもらいました。



ちなみにこの撮影をしてもらったのは「動」の真っ只中で、連日0時過ぎまで仕事しててまつげパーマもむくみとりエステもちゃんと行けてない時期(!)

だけどそんなのどうでもよくなるくらい、一生懸命毎日働いて、好きな人たちに囲まれて笑わせてもらっていて、だからいい顔ができている気がする。

そんな慌ただしさの中、30歳になった日に書いたことばは「小さくまとまらず、小さなことにも目を向けて」。

本当につよい人は、しなやかに揺れて順応できる人だと今は思っているから。

そしてここからはいよいよ、とにかく「動」いた2021年下半期のこと。

なにかに打ち込んで、横顔で恋をすると決めた


ニコニコ暮らしていたら、思ってもみない形で活躍の場を与えてもらったのが2021年の後半。

自分の住む、大好きな墨田区のまちづくりと芸術に携わる活動に関われたことは、ここ数年のなかでも一二を争うくらい、予想外で奇想天外な出来事でした。

自分のキャパや可能性を広げてくれる機会の連続で、初めて経験したことも、これまでの経験値をフル動員して切り抜けられたこともたくさんで、本当に目まぐるしくも充実した日々。

具体的なことは、ここにまとめたのでこれも割愛。

100点満点の結果を出せたとはいえないけれど、今までの仕事とは全く違うタイプの「誰かの役に立てているかも」という実感をもらえたのが、本当にありがたかったな。

大変なときはふと「笑っていてほしい」と思える仲間の顔がたくさん思い浮かんで原動力になった。これもとても幸せなこと。




「自分の横顔」について考えるようになったのはこの頃から。

去年大ヒットしたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』では、岡田将生さん演じるシンシンの台詞にこんなものがある。

「働く君と恋をする君は別な人じゃない。分けちゃダメなんだ。」

わかっていたつもりではあったけれど、30代に足を踏み込んだからこそ、この言葉に共感して、理解もできたのかも。

恋に限らず、20代まではなんだかんだで表層的な部分が魅力の尺度になりがちだったけれど、これからはもっと深い部分で周囲から測られていくような気がする。

ならば、何かに打ち込む自分の眼差しが直接は向いていない「横顔」さえも魅力のある人になっていきたい。

そんな自分を誰かに見つけてもらえたらきっと幸せなんだろうなとも思ったりしていた。

ちょっとだけ成長して、「幸せにします」なんて初めて言えたのは、それから少し先のことでした。

幸福という北極星


とにかくいろんなことが動いた2021年後半を経て、2022年の自分に誓うのは、「幸せを感じる」から「幸せを与える」人に進化すること。

「幸せ」は、過去の振り返り記事たちを読み返しても必ず出てくるほど、私にとっては欠かせないテーマ。

もともとは、自分が何のために文章を書くのか分からなくなってしまったときに、書き手として尊敬している上坂徹さんが「人はみんな幸せになりたい。だから幸せに向かって文章を書けばいい」と語っている記事を読んだことがはじまり。

となると自分はあまりに「幸せ」について受け身で無頓着だったし、挙句の果てには、いいことが起こると「いつか壊れるんじゃないか」と逃げ腰になっていたのを自覚した。

そうじゃなくて、自分なりの幸せを知っている人が書く、意思を持った幸せな文章を読みたいし書きたい。

それから4年間ほどかけてしまったけれど、まずは目の前の幸せに気づくアンテナの感度を上げて、幸せを怖がらずよろこぶ心を養って、自分のつくるものにも滲み出ていったらいいなと願ってきた。

そして、これからのこと。

自分に向けていたベクトルをいよいよしっかり外に向けて、周りを幸せにしていけるように。

ちょうど2021年の年末に「幸福を見つめるコピー展」で岩崎俊一さんのことばに出会ったのも、偶然とは思えない出来事だった。

「幸福になること。人は、まちがいなく、その北極星をめざしている。
そのためにこそ、さまざまな表現物はこの世に生まれ、人に出会い、出会った人の心に寄りそい、背中を抱きしめ、そして人の前に火を灯して、歩むべき道を照らす。」

私が素敵だと思う、言葉を扱う仕事をしている人たちは、いつも「幸せ」をゴールにしているんだと確信した。

だけど、これってきっとただ優しくて柔らかいことじゃない。時にはシリアスになって、その時々における幸福な状態は何なのかを、誰よりも考えること。

仕事に限らず、プライベートでも同じことだと思うし、というかむしろ、そこがつながっていないと、いいモノをつくることはできないんじゃないかとすら思う。

下萌えの季節を経て


じゃあ具体的に何をするのかを考えたら、できそうなことはすごくシンプルだった。

まずは、大好き、嬉しい、楽しい、ありがとうをちゃんと言葉にして伝えること。言葉にできなくても態度や空気に乗せること。

その土壌を築いているうえで、嫌い、納得できない、違うと思うことも、きちんと言葉を選んで伝えること。ただしこれは態度や空気で察してもらおうと無責任に甘んじたりしないように。

それから2022年は、誰かにスポットライトを当てて、本人が望むかたちで輝いてもらうことと、自分自身が自立して表現活動することをちゃんと両立したい。

編集者・広報として声をかけてもらっている仕事も、表現する書き手としてある程度自由にやらせてもらえそうな仕事も、誰に言われずとも書いていきたい活動も全部叶えられるって証明できたらいいな。

そしてついに、アイデンティティでもある茶道は2022年に大きな節目を迎えます。

お茶を10年以上続けてきた自分だからこそできる人との関わりや表現を、今年は特に磨いていけたら。

何はともあれ、2021年は地面から柔らかに芽吹いた下萌えの時期だったのだと思う。

だから今年は、周囲の栄養によって育んでもらった自分の中身を、外に出して、役立っていく一年にしたい。

2022年1月